2009年2月23日月曜日

男の写真公開

 爆発物によるNHK福岡放送局(福岡市)への放火未遂事件で、中央署は23日、現場の防犯カメラに写っていた男の写真を公開した。カメラには男が玄関先に手提げバッグを置き、立ち去った数秒後に爆発が起きた様子が写っているといい、同署はこの男を容疑者として捜査している。
 中央署によると、バッグに入っていたポリタンクの口にねじ込まれた布の端が数センチ焦げていた。ほかに発火装置のようなものはなく、同署は男が布などに火を付けて燃やし、その熱で一緒にバッグに入っていたカセットこんろ用のガスボンベが爆発した可能性があるとみて調べている。
 公開された写真の男は、紺の上着と紺のズボン姿。黒のニット帽と白いマスク、サングラスで顔を隠し、手には白い手袋をしていた。カメラの映像では現場にバッグを置き、しゃがんで両手を添えるような様子も写っていたという。
デイリースポーツ

いかにも妖しい格好ですね

2009年2月12日木曜日

生誕100年

■生誕100年の太宰治中心に「金木ブランド」立ち上げ 五所川原のNPOなど
 小説「津軽」を残した太宰治(1909~1948)と「津軽三味線の神様」と言われた白川軍八郎(1909~1962)。明治42年、共に旧金木町(五所川原市金木町)で生まれた2人が今年、生誕百年を迎える。北の文化を伝えた2人をクローズアップし、マチに活気を取り戻そうという動きが、生まれ故郷で始まっている。(山本奈朱香)
 金木商工会館の1階ホールには、まばらに人が集まっていた。10日夜に開かれた「『太宰ミュージアム』による新しいまちづくり」の住民説明会。商工会とともに共催するNPO法人「かなぎ元気倶楽部」の伊藤一弘専務理事(55)が話し始めた。
 「今は、100年に一度の経済危機だと言われています。でも、金木においては100年に一度のビッグチャンスが到来します」
 「太宰ミュージアム」とは、2人の才能が生まれた「金木」という地域全体をブランドとして全国に売り出そうという考え方。具体的には、英・中・韓3カ国語のホームページを立ち上げ、太宰や三味線グッズを通信販売でも購入できるようにする。地場の食材を観光客に提供し、農家に泊まる「民泊体験」をしてもらい、町中を地元の人が案内する、など。これらを通して、観光客に町の人との交流もしてもらおうという構想だ。
 もともと元気倶楽部は、五所川原市との合併で「金木らしさ」が失われることを心配した伊藤さんらが05年11月に立ち上げた。これまでも、太宰が小説「津軽」で取り上げた津軽鉄道「芦野公園駅」の旧駅舎を喫茶店にしたり、金木町の詳しい地図を作ってスタンプラリーを催したり、と様々な取り組みをしてきた。
 元気倶楽部は06年から、太宰の生家で記念館の「斜陽館」を指定管理者として運営している。同館を訪れる観光客は年間約10万人。だが、10万人の経済効果があるはずなのに、若者は働き口がないため、県外に出ていく。
 夏目漱石の「坊ちゃん」で有名な愛媛・松山のように、「金木ブランド」を全国区にして、地域全体を元気にしたい――。10日の説明会では、伊藤さんは訥々(とつ・とつ)と、だが力を込めて住民に語りかけた。
 「『(旧五所川原市と)合併したっきゃ、こうなった』と、よく聞きます。でも、自分たちの力で、ここで生きていかなきゃいけないんです。仕事をいっぱい作って、若い人たちに残ってほしい。みんなで協力してやっていきましょう」
 説明会参加者は20人にも満たなかった。それでも会終了後には「住民にとってのメリット」や「住民の意識を高めるために何をするか」などの質問が相次いだ。
 旧金木町内で、玄米製品などの販売会社を経営する須崎秀則さん(53)は「全体で盛り上げていきたい」と興奮気味だった。須崎さんの長男(22)は、市内では仕事が見つからず、千葉県で就職した。須崎さんは「若い人のため、仕事を作らないといけない。津軽は足引っ張り、と悪く言われるが、ここはみんなで協力したい」と意気込む。
 説明会を見守った西北地域県民局の秋田佳紀・地域支援室長は「地域を引っ張る素晴らしい取り組み。県としても、応援したい」と話した。
 説明会は13日と18日にも開かれる。金木商工会館1階ホールで、いずれも午後6時半から。
asahi.com

100年は歴史ですよねぇ